堀川について

「堀川」と呼ばれる川は全国に多数ありますが(一番有名なのは名古屋かも)、ここでは福岡県の堀川について記述します。

堀川は江戸時代に作られた、遠賀川水系の人工の河川です。
遠賀川の治水や周辺農村への灌漑だけではなく、筑豊の炭鉱から洞海湾まで石炭を運搬する運河としての役割が大きかったため「堀川運河」とも呼ばれます。

最初は直方~中間の数百mの区間のみでしたが、再三にわたり伸長・拡張工事がなされ、最終的に洞海湾までつながる約12kmの運河となりました。
当時の技術では人力による手掘りしか方法がなかったため、全線開通まで120年以上に渡る長大な計画となりました。
明治中期に鉄道(筑豊本線)が開通してからは陸運にシフトしましたが、それまでは重要な輸送手段でした。

人口の川で水深が浅いため、底が浅く横幅が広い独特の形状をした「川ひらた」と呼ばれる舟が使われました。
「川ひらた」には3t以下の小型のもの、4~7tの中型のもの、10t超の大型のものまで様々なタイプがありましたが、堀川で使われていたのは主に小型・中型船で、大型船は遠賀川本流で使われました。
大型船の中には船頭の住居を兼ねた「所帯船」と呼ばれるタイプのものもありました。

現在残っているのは「新々堀川」と呼ばれる中間唐戸水門からの部分のみです。現在はもちろん運河としては使われていません。
しかし上記のように単なる運河としてだけではなく周辺住民の生活と密着した川であったため、川沿いには多くの商店や飲食店や宿泊設備が栄えていました。
今でも折尾駅周辺にその名残を見ることができます。